okuyuki唐辛子リポート


okuyukiの唐辛子の研究

welcome to the pepper.

唐辛子には沢山の言い伝えや伝説が有りますが、
私はどれが正しいかではなく、どれも真実ではないかな?と思います。
okuyuki唐辛子リポートでは、唐辛子の伝説や唐辛子の効能、
唐辛子を楽しく解りやすく解説してみたいと思います。


唐辛子の伝説。日本の巻。

1.いらっしゃいませ唐辛子。
 
(日本の巻)
 
1542年の南蛮渡来船
1552年のポルトガル人宣教師
1592〜98年の文禄 慶長の役の時に朝鮮から
 
シャム国(現在はタイ)から琉球に、14世紀後半から15世紀前半に蒸留の技術が伝授された時に一緒にキダチ唐辛子も送られたとされている。(島唐辛子)
 
1542年、ポルトガル人宣教師バイタザール・ガコが豊後(現在 大分県)の国守、大友義鎮に唐辛子を伝えた。
(草木六部耕種法)
 
当時の九州地方では、南蛮渡来の珍しい観葉植物の一つとして、また南蛮渡来の毒草の一つとも言われていたそうです。
 
 
1613年の朝鮮文禄、芝峰縲絏では、倭国から来た南蛮椒には強い毒が有りと記載が有ります。
そして、翌年に書かれた『芝峰類説(チボンリュソル) 』には南蛮椒には大毒がある。
倭国からはじめてきたので俗に倭芥子(ウェギョジャ=にほんからし)というが、近ごろこれを植えているのを見かける。
酒家では、その辛さを利用して焼酎にいれ、これを飲んで多くの者が死んだ。
との記録が有ります。
 
また韓国の学者、李盛雨によれば、豊臣秀吉 朝鮮侵略の際、倭兵 朝鮮民族を毒殺するため唐辛子を持って来たと有る。
 
伝説では秀吉以前に海賊倭寇が九州から唐辛子を手に入れ朝鮮半島に持ち込んだとも有りますが残念ながら史料は有りません。
 
記載が無く口頭で伝わったとされる説では加藤清正が目潰し道具に使用したと有る。
また、忍者の目くらまし道具にも使用されていたと言う説も有る。
 
1709年に書かれた大和本草には、昔、日本に無く、秀吉公朝鮮をうつ時彼国より種子を取り来る。故に高麗胡椒というと書かれております。
1775年、物類呼弥には、番椒 たうがらし、京にてかうらいごせうと云う。と書かれている。
 
どこから見ても緑なのに何故、青唐辛子と言うのか。
大昔の色彩表現に、緑、黄は新参者(しんざんもの)とされており色彩表現には使われなかったとされています。


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